“教える”と”育てる”は違う
一介のフリーターが考える必要なんてないのだろうけれど、人を育てると言う事はなんて難しいのだと最近考えることが多い。そんな中でふと思ったことが、”教える”とは求められるスキルが違うんだなということ。
人に何かを教えるのは、新しく入ってまだ1ヶ月の新人でもやっている。知っていることがあれば、知らない人に教えることは出来るからだ。
個人のイメージだが、教えると言うのはゼロからイチにする事。その人の中にそれまでなかった情報をインプットする事が”教える”という事。
そしてそこから先に行われる行為は、全て”育てる”という側に分類されていくと思う。
例えば、何度言っても出来ない。何度注意しても変わらない。
これらは寧ろ当然だろうと思う。なぜなら、何度言っても変わらない人にただ何度も言い続けているのだから。
「アイツは使えない」というセリフも、世の中でよく使われるフレーズだと思うが、これも違う。相手の事を仕事が出来ない、頭が悪いと言いたい時に使われる事が多いのだろうが、自分が当人を”使えていない”だけだ。
これらのフレーズを口から漏らしてしまったが最後、”自分はいつまでも下働きでよろしくお願いします”と宣言した事になるだろう。どんな立場の人でも。
共通していることは、人を育てるスキルがない、または動かすスキルがないという事。それなのに、”問題児を抱えて困っている”と言うような顔をしている人は残念だ(自分のスキル不足に悩んでいるのなら良いのだが)。
自分本位で独りよがり、自分が正しいと思い込んでいるのか、無意識に他人と落差を付ける事で自分の立ち位置を示したいのか・・・
因みにカーネギー著の「人を動かす」という本があるが、最近読んでみて必読書だと思った。100年近く読み続けられているだけある。
では自分は、職場でどう振舞っているのか。正直自分にはまだ、人を育てるというスキルはない。
しかし僕はその本を読む前から、例えば人に注意や指摘をすると言う事は余りしていなかった。
なぜならその人の行動を問いただす為には、その人がその時どういう状況に置かれていて、その上でどう考えた結果その判断を下したのかを正確に確認しなければならない。
タイミングや言い方を少しでも間違ってしまえば、余程受け手に聞き入れる体制が整っていない限り不満を生むだけだ。それを正確に正しく行うことは、自分にとっていろいろな要因により不可能に近かった。
また、「何であの時こうしたの?」という質問自体が多くの人に対して、程度の差こそあれど強固な自己防衛のバリアを作らせることも経験的に知っている。
まだ人を育てるスキルはないが、悩みは一つ減った。
「いったい何て言えば分かって貰えるのだろう」と考える事がなくなったからだ。説得や議論が有効な手段ではないと知ったことで、その為の思考を全てカットする事が出来た。
人を育てるということ。これが最近の自分のテーマであり、とても難しく、大変興味のある課題である。